聞き役を降りると決めること
今日のお客さまとのやりとりで気づいたことがあります。
わたしと同年代のこのかたは、「妹から母に対する思いをずっと聞いていたので、妹は母の事を恨んでるんだと思ってました。でも、ただ私に話すだけで良かったみたい」とか「お友達の愚痴の聞き役になること多いです」というお話をされました。
そういうお話を聞かされたら、なんとか話してる人の気持ちを楽にしてあげたいと、いつも思ったんじゃないですか?と、わたしが尋ねると、大きく頷かれました。
思いやりのある人気配りのできる人は、時に無意識にこうなるんじゃないかなと思います。
無意識というか自動的に、人の不機嫌をなんとか自分が収める方法ないかな…と考えてしまうように感じます。
「環境調整役を引き受ける」とジェンダー論では言うようです。
「ほんとはどうでしょう」
そんなお話、聞きたくないと感じられませんか?
聞いたあと、ひどく疲れたりしませんか?
「聞き役を降りる」と、決めてしまってもいいんですよ。と、リンパケアをさせてもらいながらお話しました。
お互いがテーブルに座ってお話するのも好きなのですが、お客さまはベッドに横になっていただいて、わたしがおからだをケアしながら、その方の体の声を聴きながら浮かんでくる言葉を口にするのは、特別な感じがしています。
サロンで過ごす時間は「ほんとは、私はどうしたい」に気づいていただける時間になったら良いなあと、思っています。
「聞き役を降りる」と決めても、きっと思いやりがあるという個性を持ってみえるこのお客さまは、これからも人の愚痴を聞いてしまう事もあるでしょう。
だけど、「今日は聞こう」とか「今日はやだな」と選べるということ覚えておいていただけたら、私が決めてそうしている感覚が得られるんじゃないかなと思っています。
おからだもこころも軽やかになって、笑顔になられました。
また次回も、サロンを整えてお待ちしています。
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